昨日、お友達からタラコをいただいた。高くて普段はなかなか手が出ないので、タラコが大好きな私は自然とテンションが上がる。
タラコスパゲッティどうだろう🎵家で作るのは久しぶりだなぁ😆
そのハイテンションのまま、家族に伝える。「ねぇ、タラコいただいたから、タラコスパゲッティしようかー」
あれ?反応が薄い…。特に主人が…。
ちなみに薄いだけである。イヤだとは言わない。そこがなおのこと引っかかる。
「あれ、タラコスパゲッティ、嫌いじゃないよね。前作ったとき食べたじゃん。」
「まぁ、食べたけどねー。特に好きってわけではなく、普通かな。」
そうか。前は食べ物の好みが似ている長男もいたので、特にこだわりなく作ったけれど、彼がいない今となってはタラコスパゲッティの支持者は私だけなのだ。
それで会話は終わったが…どうもモヤモヤする。タラコスパゲッティを作っても喜んでくれる人はいないという事か…。
そうなると…作れないよな…。
頭ではそう決めるが、タラコスパゲッティへの未練はフツフツと湧き上がって、イライラとなって頭にこびりついてくる。
だいたい、私がたいして好きじゃないものだって、家族が食べたいといえば作ってるじゃないかー😡なのに、タラコスパゲッティも茄子料理も、主人が嫌いだからといって私も家で食べられないのは理不尽だ❗
(我ながらガキっぽい)
…ただし、主人は作ってはいけないとは決して言っていない。むしろ「食べればいいじゃん。」というのだ。けれど、彼は食べないのだから、結局別のものを作らなくてはいけなくなる。基本的に料理が嫌いな私としては、途端に「じゃあいいよ」と断念する。
じゃあ、一人でランチに食べれば…と言われそうだが、これまた私の一人ランチは残り物でパッパとすませるのが常。自分一人のためにタラコスパゲッティを作る気力は湧いてこない。
何をグダグタ頭の中で言い訳をしているのだ❗我ながら情けなくなる。
問題は「タラコスパゲッティ」ではないのだ。
否定されたわけではないのに、いらぬ忖度をして我慢をする。だけど結局機嫌が悪くなる。そこから抜け出せない。私の定番の悪循環である。
よし!この忖度をやめよう!
「明日はママの好きなタラコスパゲッティにするからねー。」と宣言しよう。
そして、メチャクチャ機嫌良く過ごそう。