次男の大学進学のために、札幌に向かう車のなかは、なんの変哲もないいつもの車内だった。次男は単身赴任している主人のところで新生活をスタートするので、双方ともに感傷に浸るきっかけがない。
「これでいいのか⁉️」
変な焦りを感じていたら、ふと、フロントガラスの前方に虹がかかった。低い位置の虹は、すぐそばの山の麓から向こう側にすごく「身近」にかかっていて、どこか私たちへのはなむけかと感じさせてくれた。
そのタイミングで、かかっていたラジオから「ぼよよん行進曲」が流れた。
「ぼよよん行進曲」なつかしい❗️次男が2、3才の頃、よく聴いてたっけ。
どんな大変なことがあったって
君の足のその下には
とてもとても丈夫な「バネ」がついているんだぜ(知ってた?)
押しつぶされそうなそんな時だって ぐっとひざ小僧に勇気をため
「今だ!スタンバイO・K!」
その時を待つのさ
… … …
ぽよよよ~んと空へ
とび上がってみよう
ほらあの雲まで手が届きそう
ぽよよよ~んと高くとびこえていこう
虹のふもとで笑顔で待ってる君がいる
うわっ、なんだこのシチュエーションは。虹に続いてこの歌詞…怒涛のエールの連発…偶然にしてはスゴくない?
「CDでよく聴いたよね~」と口にすると、主人が「○○はトンネルに入ると泣くから、気をそらすためにずっと歌ってたよね。」と応じた。
そうだった。次男は癇が強く、車に乗って遠出をするときは、彼の好きなCDをかけて、私と長男が歌って気をそらす、という役目を担っていたのだ。
ずっと忘れていたそんなエピソードを思い出したとき、この次男は、私たち夫婦と長男(9才差)とで なんやかんやと慈しんできたんだよなぁと、ついに「感傷」のきっかけがやってきたのだった。
なにかに導かれるように「感傷」へのさざ波が起きたのは、もしかしたらもう会えなくなってしまった誰かからのメッセージなのかもしれない。