ごはんとみそしるの日記

日々のあれこれ

伯母の思い出

95才の伯母が亡くなった、と連絡が入った。このご時世で、葬儀に駆けつけるのも憚られ、遠くから見送ることとなった。

50年も昔の記憶が蘇ってくる。私の幼い頃の親戚付き合いの要にいたのが、この伯母だった。母の実家の畳屋に嫁いだ伯母は、私の祖父母、伯父、子どもたち、さらに職人さんも出入りする大家族をしなやかに支えていた。母の実家なので、小さい頃は事あるごとにお邪魔して我が家気取りで過ごしていたが、伯母が怒ったところや大きな声を出したという記憶がない。いつもにこやかで、細い優しい声で笑って、話を聞いてくれた。

 お正月に家族でご挨拶にいくと、お重に詰められた手の込んだおせちが出された。今でも私の「おせち」のイメージは伯母が作ったお重のおせちだ。お重は、お赤飯とかおはぎなどが入れられて、うちにもよく届けられた。お重を見ると今でも懐かしさが込み上げるが、それは我が家のものではなく伯母から届けられたものだったのだ。

 なんだか遠い昔の断片的な映像が、妙に鮮明に次々に浮かんでくる。

 はじめてインスタントでないコーヒーを淹れるのを見たのも伯母の家だった。ポタポタと落ちるコーヒーの雫を、私は姉と一緒にじっと見ていた。
 塩分控えめの味噌汁を作って、義妹たちに味見させてくれた風景も浮かぶ。とにかく家を支える主婦としての情報は詳しかったようだ。母はよく「お義姉さんに聞いて」色々教わっていたから。

 そうだ。伯母の家で飼っていた小鳥が亡くなったとき、伯母は白い布にくるまれた亡骸を両手で慈しむようにして見せてくれた。あの時の伯母の手から伝わる悲しみが、切りとられてまだ私のなかに残っている。

 あれこれ思い出すうちに、あらためて気づいた。私にとって伯母は「昔のよき日本女性」の代表選手だったなぁと。私の知っているのは、伯母のほんの一面なのだろうが、それが今の自分のなかにあり、これからも消えないのだと思う。