ごはんとみそしるの日記

日々のあれこれ

うちの子達

 猛暑の夏から、怒涛のように落ち着きのない日々が続き、ブログに書くことを見つけられない余裕のない10月だった。少し余裕ができて、この土日にずっとサボっていたジョギングをしたら、いつもの公園の道が枯れ葉に埋まっていた。


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 あれ、いつの間に…それ以前に世の中ではもう紅葉してたっけ?

 季節感そっちのけ、短い貴重な秋を味わうこともなかった…と反省したが、唯一、でもたっぷり秋を感じさせてくれたものがあったことを思い出した。わが家の裏にそびえ立つ栗の木だ。

 


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 居間の窓から見える雄大な栗の木。10月の始め頃から、毎日ある時間になると、この栗の木のあちこちがモゾモゾと動き始める。大小様々な鳥達がごちそうを食べに集まってくるのだ。まるで、人気レストランのよう。つられるように、どれどれと私も長靴を履いて火バサミをもって参上すると、一面にイガから弾かれた栗が落ちている。



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 夢中になって拾って、栗ご飯にしたり、ご近所におすそわけしたり…。時にはおともだちを招いて「栗拾い」を一緒に満喫した。

 そんな時、わたしはいつも、この雄大な栗の木を「うちの栗の木」と自慢した。本当はうちのものでもなんでもなく、ただ偶然わが家がこの栗の木のそばに家を建てただけだというのに。

 

 栗の木は、でも、そんな私の自己顕示欲をフフフと笑って許してくれている(と感じる)。どすんと構えて、毎日集まってくる鳥に好きなようにさせている姿から、きっと鳥達を「うちの子」のように慈しんでいるのではないか、と思うからだ。

…と、ここまで書いて気がついた。そうか、私のことも栗の木にとっては「うちの子」なんだ、きっと、と。なにか、とてつもなく大きなものに守られている安心感を感じたのだった。