ごはんとみそしるの日記

日々のあれこれ

「当たり前」に支えられ

 次男の部屋に掃除機をかけていたら、机の上に「野球ノート」が置いてあった。その日の練習内容や気がついたことを書くようになっているノートで、ずいぶん前にもらったものだが、今まで書いているのを見たことがなかった。

 でも、今回は誰に言われたわけでもないのに書き始めたらしい。ノートに向かって「がんばれ!」と自然と声が出た。

 先日の試合で、初めて先発フル出場し、公式試合初めてのヒットを打った。いつもなにかとやらかしてしまう守備もノーエラーで、自分なりに活躍できたという実感を持ったのだろう。練習に対する姿勢が明らかに変わってきた。

 野球に限らず、もともとなにかに夢中になって継続して努力する、というところがない息子である。好きなはずの野球でさえ、のんびり過ごした残りの時間でやっているような印象だった。
 
 それに加え、昨年から息子が入団したチームには、少年団で活躍し、さらに上のレベルで活躍したいという意欲のある選手が集まってきていた。弱小チームで一勝もできずに少年団最後の一年を終えた息子には、他の子が当たり前にできることが、できなかったり知らなかったりした。

 よかれと思って入団させたものの、常に感じる劣等感、おまけに次々にあちこち怪我をして、練習に集中することもできず、どんどんモチベーションや自信をなくしていっているのではないか、と気になっていた。

 しかし、ここに来て、少し変わってきた。もちろん、試合で活躍できたことは大きいが、そこに至るまで彼のモチベーションを支えてくれたのは、他のチームメイトたちだった。お互いを認め合い、素直に考えをぶつけ合いながらも、仲間のミスを受け入れることもできる、そんな仲間。

 この素敵な集団はしかし、偶然に、運良く出来上がったのでは決してない。

 ある時チーム内で、仲間の一人が浮いてしまいそうなときがあった。その時、監督は選手全員を烈火のごとく怒り、「俺はこういうのは嫌いなんだ!」と一喝した。
 
 たぶん誰もが、気まずさ、納得のできないモヤモヤみたいなものを感じたに違いない。しかし、選手たちはそれを自分の中の軌道修正に役立てた。

 何かにつけいくつもの「当たり前」を選手たちに示し続けてくれた監督。その積み重ねがあって、今の自慢のチームワークが出来上がっていったのだ。

 監督が、昨年、練習を見ていた私に話してくださったことがある。

 都の大きなチームは、少年団時代にすでに開花した名の知れた選手が集まり、その中でもさらに優秀な選手が選ばれて試合に出て、大会を勝ち進んでいく。でも、我々のチームはそういうわけにはいかない。
 けれど、身体が小さかったり基礎もまだ身に付けていない選手が、ここで野球の楽しさを知り、もっと野球を極めたいと意欲をもって次のステージに進んでいく。その手助けをすることも自分の役割だと思う、と。

 まだ自分の居場所を感じられずにいる息子を気遣って、言ってくださったのだと思う。

 今、野球が楽しくて、試合で活躍する誇らしさ、仲間と勝利をつかむ高揚感を味わいたくて、自分の殻を破ろうとしている、そんな息子にしてくれたのは、このチーム、この監督だ。

 すぐには乗り越えられない課題や、時には理不尽さを投げかけ、叱咤激励しながら、でも、誰も1人にさせない気配りで、子どもたちを導いてくれた。たくさんの「当たり前」を体幹にして。

 選手たちは、このチームが大好きだ。その事が「当たり前」すぎて、その幸せに気づいていないくらいに。