昨日の夜、主人が
自粛生活のなか、次男の所属している野球チームでも練習ができなくなり、それぞれが自主練習に取り組むしかなくなった。一人でできることなど限られている。素振りをしたり走ったり…とりあえず出来ることをやっていた。本当は、守備もバッティングも課題はたくさんある。何より、もしかしたら今シーズンは試合もしないうちに終わってしまうかもしれない。中学校最後のシーズンだというのに。
こんなときこそ、何か力を貸したいと考えたのだろう。主人は毎日早く帰ってきて、次男の自主練習に付き合いだした。若いときに野球をしていたわけでもなく、しかも次男がやっているのは硬式野球なので、キャッチボールでさえ本気の相手は難しい。
しかし、主人は家の周りの環境を整え、トスバッティングを手伝ったり、驚いたことにノックバットを購入してまでして、献身的に彼の自主練習を支えた。
多彩な練習はできないが、次男が自分の課題に立ち向かえる練習を、この自粛期間中、ひたすらじっくり繰り返した。最初は父親に付き合っている雰囲気もあった次男だが、徐々に日課となり、手応えも感じてきたようだ。
そして、昨日、次男の口から冒頭の台詞が飛び出した。今まで何度もコーチからアドバイスされてきたことが、ここに来てやっと「そういうことだったのか。」と、つかめたのだという。
次男も嬉しかったろうが、それ以上に主人はもっと嬉しかったろうと思う。
「何事も一万回繰り返したらできるようになるって、ホントなんだなぁ。」と誇らしげだ。
二人の自主練習が始まってから、ざっと計算して同じことを一万回ほど繰り返したことになるのだという。
「一万時間の法則」というのがあって、ある分野で一流として成功するには、一万時間もの努力や学習が必要だ、というものだそうだが、それに関連するのか、一万回繰り返したらなにかが見えてくる、というようなことを聞いたことがある。
何事も理解したりできるようになるまで時間がかかる次男だが、そんな彼にも「一万回の法則」はちゃんと働くんだなぁと感動した。それに手を貸すことができた主人にしてみたら、感動は倍増だろうなぁと思った。あちこちに湿布を貼って身体は満身創痍。しかし、それも最近は病み付きになってきた感がある。
最後のシーズンにこの自粛状態になり、やるせない気持ちはもちろん消えないが、その分ささやかだけど味わい深いこの贈り物を、心からありがたいと思った。
もっと時間がたって、次男がこの時期を思い出すとき、思いがけない濃厚な父子の時間もセットになっているのかな、と思う。そう思うと、少し救われるような気がする。