ごはんとみそしるの日記

日々のあれこれ

さよなら、ボーニさん

 私が函館近郊に住むようになったのは、もう28年前のことである。当時婚約していた主人の勤め先の近くに、私も転勤したことがきっかけだった。

 それまで見知らぬ街だった函館。しかし、そこに馴染んでいく過程で、駅前の百貨店「棒二森屋」は、とてもとても大きな存在だったと今更ながら思う。

 函館人は「棒二森屋」を親しみを込めて「ボーニさん」と呼ぶ。
 若い頃は、ボーニさんを端から端まで回り、おしゃれなものを見つけるのが休日の楽しみだった。
 
 結婚式の引出物は、ボーニさんで購入した。いつもと違う「お得意様」対応が、なんとなくくすぐったかったのを思い出す。
 
 あの頃はバブルの終わり頃だったのか、お客さんも多く、駐車場はいつも列をなしていて、お店に入るのもひと苦労だった。年に何度かあるお得意様セールの時には、ちょっといい服を買おう…と、特に気合いが入っていた。
 
 誕生日やクリスマスは、ボーニさんの中を何度も行ったり来たりして、こだわりのプレゼントを探しまわった。

 子どもが生まれると、それまで素通りしていた子供服売り場が買い物のメインエリアになり、ベビールームも馴染みの場所になった。

 主用がすむと、主人は私にひとりの時間を作ってくれた。私は自分の好きなものを見て回り、その間主人は子どものお守りをしながら階段の途中のベンチで時間を潰してくれていた。短い時間だったが、仕事と子育てに追われていたあの時期、心を潤す時間だった。

 いつの頃からか、ボーニさんに行く機会が少なくなってきた。たまに行っても、もう以前のように駐車場で並ぶことはなかった。前とは違う状態になったことは感じていたが、それでもボーニさんはいつでもそこにあって、いざという時はボーニさんで…という存在だった。たぶん函館人にとっては、みんなそんな思いだったのではないか。

 今日で閉店してしまうボーニさん。転勤して遠くに来てしまったので、訪れてお別れをすることもできない。でも、お世話になったいろんなことを思い出して、私や家族にとって、ボーニさんがとてもあたたかい存在だったことが再確認できた。
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 ちょっと前まで「百貨店」というのは、生活に寄り添い、心を潤してくれる存在だった。そして我が家にとっては、「百貨店」といえばボーニさんだった。

ボーニさん、さようなら。
そして、ありがとう。