昨日、ある方にソーキ蕎麦はソーキそばと書くのだと教えていただいた。全く無神経に蕎麦と変換したのを訂正して下さり、蕎麦とは違うものなのだと説明して下さった。
一瞬、ものを知らない自分を「うわっ、恥ずかしっ💦」と思ったが、ジワッと「そうなんだぁ。」という新鮮な気持ちが染みこんできた。
蕎麦とそばの違いを検索してみたら、ちゃんと出てきた。どうやら原料が蕎麦粉か小麦粉主体か、というところらしい。言われてみるとその通りだが、以前ソーキそばを食べたときには、そんなこと気にも止めなかった。いや、どちらかと言えばラーメンに近いその麺を「そば」と呼んでいることにちょっと引っかかったように思うが、そばも蕎麦もザックリ「麺類」とくくられ、頭の引き出しに投げ込まれていた。
凹みに溜まっていた塵がとれて、輪郭がはっきりしたような気分になった。
そんな時、京都に出かけた友人から湯葉をいただいた。いざ、いただこうと思ったら、どのように食べたら美味しいのか、全く頭に浮かばない。
正直、私の人生の中でそれ程湯葉を口にしたわけではない。京都の名産品というイメージがあるだけである。でも、例えば日本料理のお膳などで何回か食べたことはあるはずなのに。
私にはそういうところがある。せっかくのお料理でも「うわぁ、これは○○かぁ。どうやって作るんだろう。材料は何かなぁ。どこで採れたんだろう。」などと思いをはせることをすっ飛ばし、「美味しい」のひと言でくくってしまうのである。そして、そのものの輪郭がいつもぼやけていってしまうのだ。