私の父の納棺の時、息子は泣いていた。よほどのことがないと泣かない彼が珍しいことだった。
後から話してくれたことだが、彼は荼毘に伏す前に、「じいちゃんと握手をしよう」と決めていたのだという。父とは離れて暮らしていたので、孫である私の息子と別れる時には必ず父の方から手を差し出し、「頑張れよ」と握手をしてくれた。それは、再会の度の二人の儀式のようなものだった。
だから息子は、最期は自分から手を出して握手をして別れようと考えていたのだという。納棺の儀式の中で、一人ずつ父の顔や手を清めてあげるというときになって、息子は握手をしようと父の左手に手を伸ばそうとした。
その時、父の左手が、お腹の辺りから、息子に向かうようにパタリと滑り落ちてきた。みんな一瞬、息を飲んだ。
何かの拍子に滑り落ちたのかもしれない。周囲は「孫と握手をしたかったのかねぇ。」と言ってくれた。しかし、息子にとっては、この事はもっと深い意味を持っていた。
「じいちゃんは、最期も自分から手を差し出してくれた。」
彼は、父のその思いを感じたのだ。そして、滅多に崩れることのない彼の涙腺を崩壊させたのだ。
その話を聞いたとき、確かに父はそのつもりだったのだ、と私も信じることができた。そしてきっと「頑張れよ」といつものメッセージを送ってくれていただろうと。