ごはんとみそしるの日記

日々のあれこれ

時間を越えて

 4月30日に父の一周忌を終えた。それまでは「去年の今頃は父はこんなことをしていたなぁ。」と思い返していたが、その日から一年を振り返っても、もう父はいなくなってしまった。一周忌を区切りにまた遠くへ行ってしまったようで、別のさみしさを感じていた。

 

 父は退職してから、チラシで紙箱を折ってそれをきれいにまとめては、必要な人に惜しみなく渡すことを楽しんでいた。私も両親のもとを訪れたり荷物を送ってもらったりするたびに受け取り、惜しげもなく生ゴミを捨てる三角コーナー代わりに使っていた。それは父が亡くなってからもあえて変えることなく続けてきた。父の残してくれた余韻を、箱がなくなるまでは同じように毎日感じていたかったからだ。

 

 当然のことだが、たくさんストックしていた紙箱は減っていく。いつかはなくなってしまうことは覚悟はしているつもりだが、その日はなるべく遠くにおいておきたい。一周忌を終えた頃、紙箱が減っていくさみしさを、長男に何気なく話した。

 

 すると、長男は家にあるチラシで父の真似をして紙箱を作り始めた。父の丁寧な仕事ぶりを知っている長男は、それをまるごと真似るように作っている。二枚重ねでずれないように紙箱を折るのは、かなりの手間と時間が必要だ。その事にまず気がついて「じいちゃんはスゴいねー。」と再認識。そして「オレもじいちゃんの跡をついでつくってみようかな。」そんなことを言い出した。


f:id:butasanlove:20230510232116j:image

 たぶん、私のさみしさに共感して作り始めてくれたのだが、長男は真面目なので父と同じペースで作ることを自分のノルマにしてしまうのでは…と少々不安になった。しかし、そこは心得ていて、1日1個、手を抜かず丁寧に折り上げることを目指しているようだ。

 

 この前、長男が「同じ大きさだと思っても、チラシの大きさって微妙に違うんだよね。だから二枚重ねる時にはちゃんと同じ大きさのチラシを選ばないと。」と言った時、数年前の記憶がよみがえった。父も同じことを私に話してくれたことがあったのだ。二人は、時間を越えて同じ経験から同じことを感じたんだなぁと、その事がすごく貴重で、どこか奇跡のようで、心に染みた。

 

 長男がチラシで箱を作ることは、いつのまにか自然消滅するだろうし、それでいいと思う。でも、父が感じたこんなささやかなことを、父がいなくなった後に追体験できた長男はスゴいな、と思った。「なっ、そうだろ?」と長男に向かって言う、父の嬉しそうな顔が浮かんだ。