ごはんとみそしるの日記

日々のあれこれ

お陰様

 今、我が家の庭では、朝顔が次々に花を咲かせている。うちの朝顔はとてもレアだ。朝顔は決して珍しい花ではないけれど、うちのは特別だ。だって、私は今までずっと朝顔の種を蒔いたことはないのに、芽が出てくれたのだから。

 春、その芽を見つけた時、朝顔に似た雑草かな、と思ったのだが、抜かずにそのままにしておいた。そのうちに蔓が伸びて、朝顔らしく?なってきたので、ラティスに誘引したら、みるみる蔓を伸ばし、たくさんの蕾をつけて、次々と花を咲かせて途切れることがない。

 自ら求めた花ではなかったのだが、今や我が庭で大きな存在感を持つ自慢の花となり、毎朝楽しみに眺めている。きっと庭を訪れる鳥が種を運んでくれたのだと思うが、気づくはずもなく、鳥としてももちろん意識的ではなかっただろう(笑)

 歳を重ねるにつれ、こういうのにとても心ひかれる。我が身に置き換えて、自分が強く求めたわけでも、相手に強要されたわけでもないことに、実は強く影響を受け、いつの間にか自分の中心にあることに、ちょっと感動したりする。

 例えば、特段強くこだわって聞いたわけではない軽い会話の質問に、相手があなたのためになどとは微塵も考えることなく返してくれた言葉。そんな力の抜けた台詞がなぜかスッと自分の中に染み入り、ずっと残っている。そして、それが今の自分の日常の判断に明らかに使われていることに気づく。

 妄想はどんどん広がる。たぶん私は間違いなく、気がつかないうちに名前も知らないたくさんの人からいろんな影響を受けている。今の気持ちを言葉にするとしたら「おかげさまで…」というところか…と思ったところで、ふと気がついた。

「おかげさま」は「お陰様」なんだなぁと。

今、我が家の朝顔は、私の妄想促進剤となっている。私の中の「お陰様」を探すのが日課だ。