ごはんとみそしるの日記

日々のあれこれ

父とお粥

 次男がインフルエンザに罹った。あれよあれよと熱が上がり、人生初の40度越えを達成した。さすがに食欲もなくて、家族と同じものは食べられないので、お粥を作って食べさせた。

 

 その時にフッと記憶がよみがえった。私が人生で初めて「お粥」を作った日のことを。

 

 確か、小学校4年生くらいだったのではないか。昼間、家で一人で留守番をしていたら、仕事に行っていた父が突然帰ってきた。熱があるのだという。母は専業主婦で家を守っていたので、父は母がいるはずだと思って帰ってきたのだろう。今のように携帯電話などないのだから、呼び戻すこともできない。父は私に「お粥を作ってほしい。」と頼んだ。

 

 しかし、甘やかされて育った私はたぶんその頃、一人で料理などしたことがなかった。ましてや、お粥は食べたことはあるが作り方など知る由もない。父に、お粥はどうやって作るのか聞いた。

 

「鍋に水と冷やご飯を入れて、少し塩を入れて煮るんだ。」熱で苦しそうな父は、それでも辛抱強くそう教えてくれた。

 

 さあ、困った💦💦でも、苦しそうな父のためにここはやるしかない❗健気にそう考えた私は、おっかなびっくり台所に立ち、ドキドキしながらガスコンロを使い、一体、塩はどのくらい入れるのかと不安になって何度も味見をした。

 

 出来上がったお粥を、父は全部食べた。というか、実は足りなくなってしまった。私が味見をしすぎて、最初の量よりずいぶん減ってしまったからだ。

 

 ここからははっきりした記憶ではないが、確か父は少し休んでまた仕事に出かけていったように思う。あの頃の父は、大きな責任を担っていて毎日忙しく、早くに出かけ、遅くに帰ってきてきた。具合が悪いからといってゆっくり休んでなどいられなかった。たぶん、あの日も熱が高くても仕事を休むことはできず、少しでも体を休めたくて仕事の合間に帰ってきたのだろう。

 

 私は今でも、あの時父に教えてもらった方法でお粥を作っている。

 

 

うちの子達

 猛暑の夏から、怒涛のように落ち着きのない日々が続き、ブログに書くことを見つけられない余裕のない10月だった。少し余裕ができて、この土日にずっとサボっていたジョギングをしたら、いつもの公園の道が枯れ葉に埋まっていた。


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 あれ、いつの間に…それ以前に世の中ではもう紅葉してたっけ?

 季節感そっちのけ、短い貴重な秋を味わうこともなかった…と反省したが、唯一、でもたっぷり秋を感じさせてくれたものがあったことを思い出した。わが家の裏にそびえ立つ栗の木だ。

 


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 居間の窓から見える雄大な栗の木。10月の始め頃から、毎日ある時間になると、この栗の木のあちこちがモゾモゾと動き始める。大小様々な鳥達がごちそうを食べに集まってくるのだ。まるで、人気レストランのよう。つられるように、どれどれと私も長靴を履いて火バサミをもって参上すると、一面にイガから弾かれた栗が落ちている。



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 夢中になって拾って、栗ご飯にしたり、ご近所におすそわけしたり…。時にはおともだちを招いて「栗拾い」を一緒に満喫した。

 そんな時、わたしはいつも、この雄大な栗の木を「うちの栗の木」と自慢した。本当はうちのものでもなんでもなく、ただ偶然わが家がこの栗の木のそばに家を建てただけだというのに。

 

 栗の木は、でも、そんな私の自己顕示欲をフフフと笑って許してくれている(と感じる)。どすんと構えて、毎日集まってくる鳥に好きなようにさせている姿から、きっと鳥達を「うちの子」のように慈しんでいるのではないか、と思うからだ。

…と、ここまで書いて気がついた。そうか、私のことも栗の木にとっては「うちの子」なんだ、きっと、と。なにか、とてつもなく大きなものに守られている安心感を感じたのだった。

 

 

 

 

電波時計が止まる夏

 この夏、我が家のリビングの電波時計は何度も止まって動かなくなった。電池がなくなったのかな、と思って電池を替えても、また数日で止まってしまう。買って2年と少しの時計がもう壊れてしまったのかと憤慨していたが、そのうち、止まっているのがいつも朝方であることに気がついた。「ん?」と思ってよく見ると


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時計に付属している温度計の辺りに違和感が…。

 


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 ナント、温度計の針の先が、時計の短針に引っ掛かっていたのだ。どうして?と考え始めて、すぐに納得。温度計の針が30度を越えていたのだ。北海道では、ひと夏で30度を越える日など今まではそう何回もなかった。ましてや、朝の7時にすでに30度を越えているなんて、まずあり得ない。

 ところが、今年の夏はそのあり得ないことが1ヶ月近くも続いてしまった。それが怪奇現象の原因だったのだ。

 謎かけを自力で解決できたような達成感を味わい、ウンザリしていた今年の暑さも許してあげようという気持ちになった。

 そして…9月に入り、時計はいつもの調子を取り戻したのだった。

母 函館滞在記

 母が久しぶりに函館の我が家に遊びに来た。色々あって、直接会うのは久しぶりだ。その分、今回は1週間と長く滞在。いつもは、どこへ行こうかと、タイムスケジュールを綿密に練るが、今回はあいにくの暑さもあり、家でまったり、時々お出かけ、をベースに過ごした。

 

 久しぶりの母は、相変わらずだった。レストランで、会計や注文がQRコードを使用してスマホで行われたり、ロボットが料理を運んでくることに、純粋に驚いていた。「もう一人では外食できないわぁ。」と感慨を口にしながらも、その驚きをコーフン気味に話す好奇心はさすがだ。

 
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 一緒に卓球に行った。前に一緒にやったのは、母が卓球を初めてそれほどたっていなかった頃で、元卓球部の私はかなり上から目線だったが、現在はそこから30年近くのキャリアを経て、85歳と57歳は、対等なラリーを繰り広げた。

 

 買い物にも行った。陶器や小物、洋服の好みが似ている(というよりは母譲り)なので、一緒にお店を観て歩くだけでもテンションが上がる。普段は膝が痛むはずの母も、休むことなく歩き続けてショッピングを満喫した。母は吟味の末、とてもかわいいジャンスカを買った。結構値が張ったが、エプロンのように普段使いにするのだという。これぞ高齢者の醍醐味❗

 

 料理も一緒にやった。もやしのおひたしを作るのに、丁寧にひげ根をとる母に尊敬の眼差し。私はつい省いてしまうのに。サラダにしても常に彩りを意識する姿勢に、多いに学ばせて(反省させて)もらった。「やっぱり私はお料理が好きだわぁ。」としみじみ言う母。孫たちも、久しぶりのおばあちゃんの料理を思う存分味わった。普段の私の手抜きを再確認してしまったかも💦

 

 おしゃべりもした。その時に感じたことをお互いに口にし合う何気ないやりとりが、なんだかとても貴重な気がした。こだわっていたことや心配していたことが溶けていくよう。父がいなくなって弱っていた母が、たくましく強く前を向いていることも感じて嬉しかった。

 

 母が滞在中、久しぶりに父の夢を見た。「オレも一緒に来てるぞ。」と父からメッセージを送られたような気がした。

 

 母は何事にも興味をもって「へぇー面白いねー」「あらあら、これ見てごらん」「そうかいそうかい、すごいねー」と反応する。父が生前、「おかあさんとドライブすると、『あれあれ❗見てごらんお父さん❗』とはしゃぐから、よそ見をしてしまって危ないんだよ。」とどこか自慢げに話していたことを思い出した。母は、ちゃんと父が好きだった母のまま、生きているのだと思った。

 

 記録的な暑さの中、活動してはうたた寝をする生活を共にして、母は「楽しかったよー」と帰っていった。母が寝ていた部屋が空っぽになっているのにちょっと違和感を感じている。

 

 

幸せな老後 対策1

 単身赴任してる主人が帰ってきて、晩酌でいい感じで酔っぱらったときに…

 

 ソファーに座ろうとして、自分の定位置に座り、隣に座っていた長男を押しやって一言。

「俺のとなりはママの席なの❗」

 

 あれっ?そういうこと、言う人でしたか⁉️

 

 でも、まんざら悪い気はしない。なに言ってんのーと言いつつも、そりゃ嬉しい、正直言って。

 だから、相手への何気ない気配りなんかが、なぜかとてもスムーズにできてしまったりして。なにかと優しくできちゃったりして。会話も弾んじゃったりして。

 これは、一緒の時間が長くなるこれからにむけて、身に付けるべきスキルなのでは?!

 

 よし!幸せな老後のために、私も見習ってやってみよっかな。

 

えっと、何て言おう。えっと、えっと…。

 

今度酔っぱらったときに考えよっと。

ピアノ🎹

 主人の誕生日祝いに、ずっと行きたかったレストランを家族で訪れた。1日に3組のみというこのレストランは、なかなか予約がとれないのだが、偶然にもこの日は我々だけの予約だった。

 ご自宅を改装した部屋には、70代の女性オーナー(シェフのお母様)がお若いときに一目惚れして購入された骨董のオルゴールを始め価値ある品々がさりげなく置かれている。中でも、女の子が生まれたら習わせたいと思って購入したというアップライトのピアノの佇まいは、懐かしさを漂わせつつ、手入れが行き届いていて大切にされてきたことが伝わってきた。

 

 そんなピアノに、大胆にも次男が手を伸ばした。スマホで楽譜を出して、単音で「幸せなら手を叩こう」に挑戦しだしたのだ。あまりのミスマッチ、しかも彼は楽譜を読むのもやっとの超初心者🔰だ。しかし、父の誕生日祝いの席で、楽しませようという彼の意図は受け入れられ、その場はとても和やかになった。(かなりの笑いに包まれた😅)

 

 その時、私の中の思い出の扉が開き、小学生の頃ピアノを習っていて、同じようにアップライトのピアノで稽古していた空気感を思い出した。

 ピアノのふたを開け、鍵盤にかけられたフェルトの布をたたんで脇に置き、椅子の高さを調節して腰かける。そんな昔のルーティーンをどうしてもやってみたくなったのだ。

 そして、そこまでやったらなにか弾きたくなって、昔を思い出しながら「大きな古時計」を両手で弾いてみた。適当な伴奏だけれど、しかも何度かつっかかったりしたけど、「幸せなら手を叩こう」の後だったからか、演奏会的な扱いで聴いてもらえて、調子にのって演奏後にお辞儀までしてしまった。


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 思った以上に気持ちが上がって、ピアノを弾く自分に酔いしれた。昔、バイエルを弾きながら、将来の夢はピアノの先生、って言ってたときがあったなぁと思い出した。

 

 

母のつぶやき  無駄遣い

 先日のこと。次男が、通学のための交通系IC カードにチャージするのでお金をくれと言ってきた。「あれ?一ヶ月前に一万円渡したばっかりじゃん。」というと、「今月は(普段は自家用車で送迎することが多い)テストで早く帰るのにバスにたくさん乗ったからかなぁ。」と白々しく返答した。家計にシビアな母は、「一回のバス代が300円。毎日乗っても一万円かからないけど?」と追い込むと、無言になった。「ごめんなさい。」と言うので、小さい子に言うように「なにが「ごめんなさい」なの?」と突っ込むと、

 

「無駄遣いをしてごめんなさい。」

 

だと。

 

 おいおい、息子よ。

無駄遣いってのは、「自分のお金を無駄に使う」ことをいうのではないのかい?交通系カードのチャージ金はきみのお小遣いではないことを、知らないとは言わせないぞ!