ごはんとみそしるの日記

日々のあれこれ

野球ロス

 終わってしまった。次男の高校野球。代表決定戦で破れ、3年生はとうとう引退となった。

 

 なんだか夢を見ているようだった。1年前まで公式戦に一度も勝ったことのない弱小チームだった我がチームは、どんどん力をつけ、シード校となり、あとひとつ勝つとなんと57年ぶりの地区代表というところまでこぎつけた。決勝戦は全校応援となり、ブラスバンドの演奏の中、全校生徒の「かっせかっせ」の応援を受けて戦うことができた。それだって奇跡のようだったが、選手たちも親たちもその一つ上の奇跡を目指した。もう少しで手が届きそうだったけれど、悔しくもそれは叶わなかった。終わった瞬間の喪失感は、数日たった今も身体から抜けずにいて、それは選手だけでなく、親も同様だ。

 

 けれど、何て幸せな時間だったろう。最後にあんなにドキドキワクワクさせてもらった。人様の子どもの名前を呼び捨てで絶叫するなんて、もうきっとないだろうと思う。

 

 次男が野球を始めてから、家族の土日はずっと野球中心だった。野球のお陰で、家族みんなで青春ができた。だからこそ、今、家族みんなで野球ロスにドップリ浸かっている。この気持ちを、様々なものへの感謝を込めて大切に味わおうと思う。
f:id:butasanlove:20230705211934j:image

トレシューの穴

朝、何気なく玄関にある次男のトレーニングシューズに目に入った。あれ?
f:id:butasanlove:20230630170702j:image

汚れかと思ったら、足先に穴が空いていた。それも両足に。

 

明日、最後の大会に臨むこの時期に、空いてしまった穴が、なんとも愛しい。「お前も、彼の引退を見守り、支えようとしてくれているのか。」そんな気持ちになった。

 

明日は初戦。どうか、みんなの熱い気持ちが力となって発揮できますように。

ふつうの日

 6月は厳しかった。初旬になんとなく喉が痛い、と思い、朝、コロナを警戒して病院で検査を受けた。コロナもインフルエンザも陰性。安心してそのまま仕事に行ったが、その日から症状は日に日に悪化していった。

 病院からもらった薬を飲んでいるにもかかわらず、ものすごい咳が出るようになり、数日後とうとう発熱。仕事を休んだ。熱冷ましで熱は下がっても、咳はいっこうに治まらない。黙っていれば止まっている咳も、少ししゃべった途端に堰を切ったように止まらなくなり、周囲がドン引きしてしまうほどだ。

 どうやら「咳の風邪」が流行っているらしい。とはいえ、わたしはこれまで、風邪を引いても3日は寝込まないのが常だったので、いつまでたっても回復しない身体に、自分も周りも戸惑った。

 初めはしょうがないなぁという余裕のテンションで、ゼリーやヨーグルトなどを買ってきてフォローしてくれていた子どもたちも、だんだん切羽詰まってきて、「早く大きな病院行ってきなってば‼️」と不安丸出しで怒ってくる。病院をかえても薬をかえても、目に見えた回復は感じられず、次男はとうとう「お母さん、それ、治るの?」とストレートに不安を口にしてきた。あれだけおしゃべりなわたしが話すことが億劫になるほどの咳に、結局3週間近く苦しめられた。

なんとか回復し、咳もでなくなり、症状も終息した。ずっと自分らしくない病人モードだったので、早くいつもの自分に戻りたかった。そこでまずは、気持ちのリハビリに、体調を崩している時に気になっていた家中の掃除に没頭した。雑草だらけの庭の掃除にも汗を流し、そこでちょっと、厄を落とした気持ちになれた。

 

 そして、回復2日目。久しぶりに「ふつうの日」を過ごした。近くをジョギングし、友人に手紙を書き、今週の常備菜を作った。特に出かけることもなく家でふつうに過ごした。そうしているうちに、思いっきり「ふつう」っぽいことをしたくなって、庭の花を摘んで瓶に活けた。滅多にやらないことをわざわざやって、「ふつう」を演出するなんて、やっと本調子が戻ってはしゃいでるな、と自分で思った。センスないのはバレバレだけど。


f:id:butasanlove:20230625212550j:image

最後の大会 感謝をこめて

 昨日、高3の息子の最後の背番号をユニフォームに縫い付けた。小3から始めた少年野球。中学校ではリトルシニアで、高校では念願の高校野球に打ち込み、そして明日から始まる夏の大会を最後に引退することになる。

 背番号の数字に一喜一憂していた時もあった。けれど、引退を前に、不思議なくらいそこは気にならなくなった。チームの中にしっかりした居場所があり、役割があり、やりがいがあり、繋がりがある。そんな息子の姿を試合で見られることが、本当に嬉しいし楽しい。誇らしい気持ちになる。

 

 9年以上も次男の野球の応援をしてきた。長男の分もいれたら15年になる。いろんなことがあって、時には野球の勝敗以外のことにまで心をかき乱される生活だった。けれど、振り返ると何て愛しい時間だったのかと思う。我が家の子育てを支えてくれたのは、野球だったのかもしれない。

 

 決して名門チームでトップを目指したわけではない。大人の強い導きがあったわけでもない。他のチームの監督に「草野球チーム」と揶揄されたことさえある泥臭いチームで、最後の大会に挑む。だけど、なんだかワクワクする。それがとても誇らしいと思う。

 同じチームの応援団として一丸となって、同じように長い時間かけて我が子を見守ってきた人たちと一緒に、「がんばれ!!」と精一杯応援をしよう。

 

 

 

 

 

 

ウグイスを探せ IN我が家

 最近、私はリビングの窓の前に椅子を持ち込み、外の栗の木を眺めながらコーヒーを飲むのが日課だ。その他にも、歯を磨きながら、とか窓の外を通りすがりに、とか、とにかく窓の外をじっと眺める。栗の木にとまっている「ウグイス」の姿を見つけるのが目的で。

 

 きっかけは、職場に鳥に詳しい方が居たことだ。職場の窓から見える木々に飛んでくる鳥たち。大雑把なわたしは、今まで「鳥たち」とひとからげに感じていたのだが、その方の影響で、その姿やさえずり、飛び方、そして名前に急に興味が湧いてきた。そして、我が家にはもっと鳥のさえずりが溢れていることを、あらためて意識することになった。

 

 特に、ウグイスの声はこの時期、我が家の裏の大きな栗の木から聞こえてくる。それはリビングの窓の正面にあるので、つい目が行くようになり、窓辺に立ち止まるようになり、とうとう窓の前に椅子を持ち込んで座り込むことになった。家では滅多にかけないメガネを窓辺に置き、もし見つけたときに撮影しようとスマホを片手に持って。

 

 声はすれども姿は見えず…というもどかしい数日を過ごした頃、小鳥が栗の木の枝を動くのを発見!そのときの感動!!ちょっと目を離したら見逃してしまう💦💦という緊張で瞬きもできないくらい凝視しながら、その姿をスマホで撮影した。


f:id:butasanlove:20230530222650j:image

 

 その日から時々ウグイスの姿を見つけられるようになった。ウグイスは藪の中にいるので、なかなか見つけられないものらしい。なので、四つ葉のクローバーを見つけた気分になる。

 

 それにしても、これを我が家のリビングでできる贅沢。たまりません。我が家、サイコー😃⤴️⤴️

サードコーチャー

 次男は、高校球児だ。今年三年生。今シーズンは先発を外れ、サードコーチャーをしている。本人は不本意な気持ちもあるのかもしれないが、私は彼のサードコーチャーが好きだ。間違いなくチームNo.1だと思う。

 先日の春季大会でも、コーチャーボックスからかける彼の声は、時に仲間を鼓舞し、時に緊張をほぐし、時に的確な指示を出す。彼が腕をまわしたら、どの選手も躍動感いっぱいで走らずにはいられないだろうと思う。それくらい全身全霊で腕をまわすのだ。


f:id:butasanlove:20230517223726j:image

 彼に代わってサードを担う後輩が、今大会の大事な試合で貴重なタイムリーを打った時のことだ。ツーベースとなりセカンドに到達した瞬間、その子はサードコーチャーの次男に向かって真っ先に全力のガッツポーズを送り、次男も同様に跳び上がってガッツポーズを返した。ああ、次男はこの子に託して、その気持ちは相手にも伝わっていたんだな、とわかった。帰ってきて「今回の試合は、みんなで戦った試合だ。」と彼が言ったのは、心からそう思ったからなのだろうと思う。

 

 チームに欠かせない存在の一人一人。このチームで戦えるのは、次の大会が最後になる。

 

 少年団からずっと応援してきた。この生活ももうすぐ卒業だ。よそ様の息子の名前を、あんなに大声で叫んで全力で応援することなんて、もうないかもしれない。

 

あー、もう終わっちゃうのかぁ。えーん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間を越えて

 4月30日に父の一周忌を終えた。それまでは「去年の今頃は父はこんなことをしていたなぁ。」と思い返していたが、その日から一年を振り返っても、もう父はいなくなってしまった。一周忌を区切りにまた遠くへ行ってしまったようで、別のさみしさを感じていた。

 

 父は退職してから、チラシで紙箱を折ってそれをきれいにまとめては、必要な人に惜しみなく渡すことを楽しんでいた。私も両親のもとを訪れたり荷物を送ってもらったりするたびに受け取り、惜しげもなく生ゴミを捨てる三角コーナー代わりに使っていた。それは父が亡くなってからもあえて変えることなく続けてきた。父の残してくれた余韻を、箱がなくなるまでは同じように毎日感じていたかったからだ。

 

 当然のことだが、たくさんストックしていた紙箱は減っていく。いつかはなくなってしまうことは覚悟はしているつもりだが、その日はなるべく遠くにおいておきたい。一周忌を終えた頃、紙箱が減っていくさみしさを、長男に何気なく話した。

 

 すると、長男は家にあるチラシで父の真似をして紙箱を作り始めた。父の丁寧な仕事ぶりを知っている長男は、それをまるごと真似るように作っている。二枚重ねでずれないように紙箱を折るのは、かなりの手間と時間が必要だ。その事にまず気がついて「じいちゃんはスゴいねー。」と再認識。そして「オレもじいちゃんの跡をついでつくってみようかな。」そんなことを言い出した。


f:id:butasanlove:20230510232116j:image

 たぶん、私のさみしさに共感して作り始めてくれたのだが、長男は真面目なので父と同じペースで作ることを自分のノルマにしてしまうのでは…と少々不安になった。しかし、そこは心得ていて、1日1個、手を抜かず丁寧に折り上げることを目指しているようだ。

 

 この前、長男が「同じ大きさだと思っても、チラシの大きさって微妙に違うんだよね。だから二枚重ねる時にはちゃんと同じ大きさのチラシを選ばないと。」と言った時、数年前の記憶がよみがえった。父も同じことを私に話してくれたことがあったのだ。二人は、時間を越えて同じ経験から同じことを感じたんだなぁと、その事がすごく貴重で、どこか奇跡のようで、心に染みた。

 

 長男がチラシで箱を作ることは、いつのまにか自然消滅するだろうし、それでいいと思う。でも、父が感じたこんなささやかなことを、父がいなくなった後に追体験できた長男はスゴいな、と思った。「なっ、そうだろ?」と長男に向かって言う、父の嬉しそうな顔が浮かんだ。