「死ぬときに後悔するのは、やったことではなくやらなかったことである。」
何度か耳にして心がざわついていた。自分に当てはめて、焦っていたのかもしれない。でも、だからといってすぐに行動できたわけではない。
なぜか。
自分が何をやり残しているのか、頭に浮かばなかったからである。
数年前に、二十年以上努めた仕事を早期退職した。そして、6年間の専業主婦生活。それなりに楽しく過ごしているが、周囲がみんな仕事をしている中、なんとなくサボっているような気持ちになってきていた。
そろそろ働かなきゃ…。そう思いながら考えるのは、今の自分に何ができるだろうか、という自信のなさ、かなりネガティブな気持ちだった。そして、その働くということの目的の中心には「お金稼ぎ」があった。
大学でお金がメチャかかる長男に、まだ小学生でこれからタップリお金がかかるであろう次男。そのためには、親としてもっと稼がなきゃ…というような。
だから、「働く」ということは「やらなきゃ」という気持ちではあったが、「やり残したこと」とは一致していなかったのだ。
ところが、先日、以前やっていた「不登校の子ども達の支援をする仕事」のことを耳にしてから、前記の「やり残したこと」のざわつきをやたらと感じている。
その仕事に関するイメージがどんどん湧いてくる。関連した本に手が伸びる。自信があるわけでもないが、ネガティブな気持ちよりはむしろ「これなら頑張れるかも。」というような前向きな自分がいる。
その自分の気持ちを試すために、しばらくはなるべく前のめりにならぬよう、その思いに自分で気がつかないふりをして過ごしていた。でも、そこで浮かんでくるのが「死ぬときに後悔するのは…」のあの言葉だった。
勇気を出して、そちらの方向に歩き出してみようかと思う。その仕事に就けるかどうかは難しいかもしれない。求人があるかすら不確定だ。
でも、まずは一歩踏み出そうと思う。
それは「やりたい」と口に出すこと。
実はこれを、私は今までやってこなかった。周囲に押されるのを待って…という生き癖…これを振り捨てて、すっと自分で手を挙げてみようと思う。
これも、「幸せになる勇気」かしら。