ごはんとみそしるの日記

日々のあれこれ

ちゃんと怒られろ

今、ハマっているドラマがある。
「にじいろカルテ」という田舎の診療所が舞台のほのぼの人間ドラマだ。
今どきのドラマとはちがった、逆にちょっとズラされるテンポの会話ややりとりに、心が持っていかれてしまう。

 最近、そのドラマの中のある台詞が、ずっと頭から離れず、心でリフレインしてしまっている。

それが

「ちゃんと怒られろ」

である。

 ドラマでは、医療ミスをしてしまった主人公が自分のミスに動揺し、ひたすらに「ごめんなさい」を連発するのだが、その行為を遮るように先輩医師が「お前、ちゃんと俺に怒られろ❕」と言うのだ。それは、なんとも温かい、沁みる言葉だった。

 ところが、その言葉はどんどん私の中で自分に当てはまる形に変化し、府に落ちていった。

「ごめんなさい」の連発が、耐えられないくらい嫌なときがあった。「謝っているのだから許してあげなくては。」と思うのに、なおのこと怒りがこみ上げてくる。むしろ、その「ごめんなさい」が原因で怒りが生まれることすらある。自分でも制御不能…。許してあげられない自分に落ち込む。

 その時の自分の気持ちは、まさに
「ちゃんと怒られろ‼️」だと合点がいった。

 「ごめん」の連発は、自分がいたたまれなさから逃れようとする気持ちばかりが伝わり、こちらへの申し訳なさや思いやりが欠片も感じられなくなる。ましてや、何がいけなかったのか、という核心はおざなりにされていくように思うのだ。

 ああ、わたしはあの時「ちゃんと怒られろ」と言いたかったのだな、と気づいた。気づいたら、気持ちが軽くなった。

 そして、さらに気がついた。この「ごめんね」戦法、私もしてるかもしれないな、と。「ごめん」の言葉でこの件を終わらせてしまおうと、「自分のための謝罪」をしていたかもしれない。謝ることよりもまず、相手の怒りの声をひたすら聞き、受け止めることが先だったのだ。

「ちゃんと怒られろ」

自分自身と、息子にささげます😜