ごはんとみそしるの日記

日々のあれこれ

「ちんどん屋さん」

 今朝、朝ドラを見ていたら、ドラマの中で登場人物の旅立ちをさりげなく送り出す「ちんどん屋さん」が出てきて、ふっと脈絡のない昔の風景がよみがえってきた。

 母の実家は畳屋で、一階が店で二階が住居だった。賑やかな商店街にあり、小さい頃私はよくそこに預けられ、その間母は買い物など用足しに出かけていた。

 預けられる、とはいっても家の中の大人はみな忙しいので、好きに過ごしなさい、というスタンスだったし、退屈しのぎにテレビを観る、という家でもなかった。(それとも、まだそんな時代ではなかったのだろうか。)私も家とは違う環境で少々退屈な時間を過ごすことを、そういうものだと受け入れていたように思う。

 その二階の住居には、賑やかな表通りに面した窓があり、その前に一脚の椅子が置いてあった。そこは、退屈しのぎにはもってこいで、やることがなくなると私はその椅子に正座するように座り、窓の外を眺めた。そこからは店の前の様子が一望できる。店の向かいの下駄屋さんの前にはバスの停留所があり、停留所に並んだ人の列がバスが来る度に消えてなくなるのを眺めていた。町並みはセピア色の「ザ、昭和」だった。

 その道を、時折「ちんどん屋さん」が通った。パチンコ屋さんかなにかの宣伝だったのだろうか。なんのために通るのかは、当時考えたこともなかったが、「ちんどん屋さん」が窓の外を通る瞬間は、漠然と見ていた景色に色がつき、覚醒されたようになったことを思い出す。

ちんどん屋さん」のあの音は、賑やかでありながら、今の音楽のような踊り出したくなるような躍動感ではなく、ちょっと切ないような気持ちにさせらせる。もしかしたら、「お母さん、早く帰ってこないかなぁ。」と思いながら聞いていたからかもしれないし、当時はそうは思っていなかったのに、懐かしさから知らぬうちに郷愁の色をつけてしまっているのかもしれない。

ちんどん屋さん」を今、町で見かけることはなくなった。都会にいけば、もしかしたら「今のちんどん屋さん」がいるのかもしれないが、あの「ちんどん屋さん」はもう見ることはない。昔が舞台の物語にだけ、存在する…もう「歴史上の風景」になりつつある。

 でも、今日テレビで見かけた時、「あー私の人生にはちんどん屋さんがいたなあ」と思った。だからなんだ、ということではないが、「ちんどん屋さん」から様々な思い出の風景が浮かび上がることに、ちょっと感動した。