ごはんとみそしるの日記

日々のあれこれ

誕生日の後悔

 今日は私の誕生日である。朝から家族や両親、姉からも直接、またはメールで「誕生日おめでとう。」と言ってもらった。
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 実は、私には誕生日のお祝いを言われる度に、心が痛む「後悔」がある。

 

 もう十年以上前の、私の誕生日のことである。今日は誕生日だと、朝からちょっと特別な思いで目が覚め、その気持ちのまま、朝の支度をしながら家族(主人と長男)が起きてくるのを待った。
 しばらくして、主人が起きてきて、そして長男も起きてきた。しかし、二人ともなにも言わない。私は二人が今日がなんの日かに気づいてくれるのを待っていたが、いっこうに気づくことなく、いつものようにテレビを観ながらの日常の朝が流れていく。

 私は無性に寂しくなり、情けなくなり、それが激しい怒りになって自分を襲ってきた。私が今日がなんの日なのか二人に伝えると、二人は「あっ。」という顔をして、「誕生日おめでとう。」と言った。自分から伝えてしまったこと、こちらからおめでとうを強要した形になったことが、さらに怒りに拍車をかけ、コントロールが効かなくなってしまった。

 私は二人に「こんな寂しい誕生日はない。」などと理不尽きわまりない理由をつけて怒りをぶちまけ、会話を拒んだ。「ごめんね。」と言われても、いや、言われるほどさらに怒りがわいてくる。

 今でも、あの時どうしてあんなに怒ってしまったのだろうと思う。主人が仕事に出かけ、長男が保育園に行き、私も仕事に行った。ずっと後悔して、うちに帰ったら謝って、機嫌を直して、楽しく祝ってもらおうと思っていたのに、帰宅して顔を見るとまた怒りが再燃して(あるいは引っ込みがつかなくなってしまったのか)、お祝の夕食やケーキも拒み、その誕生日は家族にとって悪夢のような日となってしまった。

 家族に不満があったわけでは決してない。でも、今振り替えると、自分の仕事に対する周りの評価だとか、自分や家族の病気のことだとか、失ってしまったものへの未練だとか、自分が上手くできない様々なことへの自己嫌悪とか、消化不良のまま溜め込んでいた時代だったなぁと思う。

 そんな私は、あの時、誕生日にどれだけのものを期待してしまっていたんだろう。世界中が自分を肯定してくれる1日になってほしかったのか。

 振り返る度に落ち込む、この幼稚で自己中心的な恥ずかしい出来事を、主人も長男も、これまで一度も責めることはもちろん、口に出すことすらしないでくれた。(もしかしたら、口に出したとたん、あの悪夢がよみがえるようで怯えているのかもしれないが💦💦)

 他にも、家族に当たり散らしたことなど数知れないが(ゴメンナサイ🙏)、この出来事だけはたぶん死ぬまで忘れられないだろうと思う。だって、誕生日は毎年やって来て、お祝いを言われる度にあの悪魔と化した自分への自己嫌悪がよみがえるのだから。

 自分はとにかく、今でも家族の誕生日の朝には、お祝いの言葉を欠かさないようにと細心の気配りをしている(であろう)長男が気の毒で、ただ申し訳なく、切ない。彼の中で、これが愚かな母の笑い話として熟成されてくれることを祈るのみである。

 ただし、その話は私の前でしないでね💦💦

 誕生日、勇気を出して懺悔…🙇