昨日、父の弟(私のおじさん)が孤独死をしたと連絡が入った。
おじさんとは、幼い頃は年に一度、お正月に父の実家を訪れたときに顔を合わせていた。
おじさんはいつも親戚同士の会話にはあまり口をはさまず、でもどの人の話も聞いているようにほほえんでいた。おじさんが会話の中心にいたことはたぶんなかったのではないか。たまに父が仕事はどうだ?というような話題をふっても、おじさんはひと言ふた言応じて、それだけだった。
しかし、ちょっとした場の切れ目や帰り際、おじさんは「これ…」とおずおずといった感じで私と姉に毎年お年玉袋を手渡してくれた。「ありがとうございます。」と応じると照れくさそうな笑いを浮かべ、でもそれだけだった。お年玉袋にはいつも、鉛筆で「清治」とおじさんの名前が書いてあった。
親戚の会話が切れ間なく交わされる中で、このお年玉を私達に渡すタイミングを探ってくれていたのかな、そんな気がしていた。
おじさんの死の連絡を受けてから、ずっとそのお年玉袋とおじさんの字が頭に浮かんでくる。あのお年玉袋、とっておけば良かったな。ずっと、宝物にしておけばよかったな、と後悔している。